業界特集
掲載企業国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研:AIST)
高度経済成長期に整備された日本のインフラは、もはや限界を迎えつつある。埼玉県八潮市の陥没事故も記憶に新しいが、老朽化が進むインフラをどう維持管理していくかは国民の命に関わる喫緊の社会課題だ。
この難題に「ドローンやロボットを活用したスマート保守技術」と「薄膜・コーティング技術」の組み合わせで挑む産総研のグループがある。それが「レジリエントインフラ実装研究センター」だ。本記事では、同センター副研究センター長の土屋氏と主任研究員の野本氏への取材をもとに、社会実装を目指して研究が進む「常温・常圧下でのセラミックスコート技術と、それらを活用した予防保全」の細部に迫る。構造物の劣化を防ぐだけでなく、災害時の避難誘導や劣化診断までを担う「3度美味しい」コーティングとは、いったいどのような技術なのだろうか。
この記事でわかること
・インフラの老朽化という社会課題と、それに対応するための産総研の研究体制
・単なる保護膜にとどまらない、セラミックスコートのさらなる機能と社会実装の形
インフラの老朽化という社会課題と、それに対応するための産総研の研究体制
限界を迎える日本のインフラ老朽化 —補修に代わる「予防保全」という考え方とは?
高速道路網に代表されるように、橋梁やトンネル、道路といった土木インフラの多くは高度経済成長期に集中して建設が進められた。そして、これらの多くが建設から60年以上を迎えようとする今、メンテナンスにかかる負担は増大の一途をたどっている。
だが「壊れたら直せばいい」という単純な話ではない。人口減少と土木建設業の担い手不足が深刻化するなか、現場で補修を担う人材は慢性的に不足している。現場の3K作業を減らし限りある担い手を生かすためにも、インフラ維持管理のあり方の見直しは急務だ。
そこで求められているのが「予防保全」という考え方である。「壊れてからの補修ではなく、壊れる前に予め劣化診断や耐久性向上の措置を施すのが、予防保全の考え方です」と土屋氏は説明する。壊れる前に手を打ち「既存の構造物を強化して長く使い続ける」という点が、予防保全の大きなポイントだ。そして地政学リスクが増大する昨今、予防保全はインフラの維持管理というだけでなく、資源の乏しい我が国における国家安全保障の面でもより重要性を増している。

(画像提供:産総研)

(画像提供:産総研)
分野横断で、強靱なインフラを創る —産総研「レジリエントインフラ実装研究センター」とは?
こうした大きな社会課題に対応するため、産総研は2025年、CO2削減や資源循環などの7分野で「実装研究センター」を立ち上げた。研究成果の社会実装を加速させることを目的として作られたこれらのセンターには、産総研の全研究領域から多様な研究者が集う。分野を横断してさまざまな知見が集まる点は、まさに「産総研の総合力」を体現していると言えよう。
レジリエントインフラ実装研究センターもまた、そのうちの1つだ。同センターには材料、計測、AI、地質などの領域をそれぞれ専門にする研究者が所属し、「インフラの強靱化を通じたレジリエントな社会の実現」を目指し研究開発に取り組む。「各領域の知見を結集し、点検・検査・診断・補修の4つのサイクルを回すための技術開発を行うこと、そしてそれらを社会実装することで、予防保全を軸とした維持管理技術を普及させることが目標です」と土屋氏。昨年からはAIを活用する研究チームも発足し、現在は合計5チーム体制で活動している。

ドローン・ロボット点検から、着雪防止フィルムまで —レジリエントなインフラを支える産総研の技術とは?
同センターからはすでに、ユニークな技術が数多く生まれている。例えば「サンプリングモアレ法」だ。この手法では、橋梁に設置したマーカーをドローン空撮画像から読み取ることで、従来より大幅に少ない労力で変位(たわみ)を計測できる。ほかにも、地表から非破壊で土壌の電気抵抗を測定し埋設管の腐食リスクを評価する手法や、AIを活用した打音検査システムなど、点検・モニタリングの省人化技術が次々と生まれている。
「AI活用は7年計画の2年目で、最終的にはAIを活用した点検・検査手法とロボットによる自動補修の組み合わせを目指します」と野本氏。後述する材料開発と組み合わせ、日本発のインフラ保守技術として国際標準化と海外輸出を進めることも大きな狙いだ。

インフラ強靱化に寄与する各種材料開発も進む。例えば、SLUG(=難付着材料)を活用した着雪防止フィルムだ。これはナメクジの粘液分泌作⽤から着想を得たもので、潤滑液を自己分泌することで氷や雪に対し優れた難付着性を⽰す画期的な素材だ。このほかにも透明導電膜をベースにした透明ヒーターや、構造物に吹き付けて劣化を防ぐ各種コーティング材料・手法も開発しており、次章で詳しく紹介するセラミックスコーティングもそのうちの1つである。

バイブコーディングで研究者自らシステムを内製 —材料開発を効率化する産総研の研究DXとは?
セラミックスコーティングの機能について詳しく述べる前に、このような研究開発を効率化する「研究DX」についても触れておきたい。研究DXとは、ロボットによる自動実験やAIによるデータ分析を活用し、作業品質のばらつきや作業時間といった属人的な障壁を低減して研究を効率化する、新しいワークフローのことだ。
例えば同チームで用いているあるシステムでは、基板を投入すると装置が自動で吸着・成膜(スパッタリング)し、測定・評価までを一気通貫で行う。このシステムでは組成や条件を変えながら24時間365日実験データを取得でき、論文に必要な多条件でのデータ収集から、目標へ最短で近付くための最適化まで、研究目的に応じて柔軟に対応する。遠隔操作も可能で、異常があれば研究者に通知が届く。
特筆すべきは、これらのシステムは研究者が内製したという点だ。「生成AIを活用した効率的な開発でPythonのコードを書き、システムを構築しました」と野本氏。同氏のように研究DXをフル活用し、研究アイデアを成果物へ効率的に落とし込める研究者が多数在籍することもまた、産総研の大きな強みなのだ。

産総研が開発した、画期的な常温常圧セラミックスコート技術
紫外線で劣化しないセラミックス —インフラ保守現場でのセラミックス活用を阻む障壁とは?
錆や塩害といった劣化要因から土木構造物をコーティングし守るためには、これまで長く樹脂系塗料が使われてきた。しかし樹脂塗料は紫外線で劣化しやすく、定期的な塗り直しが欠かせない。近年は塗料に代わるものとしてフッ素樹脂コーティングも用いられるようになったが、フッ素樹脂はPFASなど環境面での問題も取り沙汰されている。また、30年と言われていたカタログスペックの半分以下の5〜10年程度しか持たないこともあるなど、耐久性の面でも課題が残るのが現状だ。
そこで注目されるのがセラミックスだ。無機物であるセラミックスは紫外線で劣化しない上、絶縁性などの機能を付与できる。橋や道路に塗布できれば、長期間塗り直さずに済むだけでなく、機能性も備えた劣化防止コートを作り出せるのだ。
だが、ここでセラミックスの成膜方法が問題となる。従来法によるセラミックスの成膜には「熱」をかける必要があったのだ。例えば溶射では、粉末状のセラミックスを数千〜1万度で溶かして対象物に吹き付ける。溶液にして塗る方法でも、バインダーや分散剤といった添加物を飛ばすために熱を加える必要がある。いわば陶磁器を窯で焼くようなもので、橋やトンネルといった大きな構造物にこのような従来プロセスを使うのは難しいのだ。
衝撃や光を用いて常温常圧でセラミックスを成膜 —産総研が開発した「AD法」「光MOD法」とは?
ここで生きるのが、産総研が開発した常温常圧でのセラミックス成膜法だ。産総研では、セラミックスを常温常圧で成膜する、AD法(エアロゾルデポジション法)と光MOD法という2つの手法を開発した。
AD法は、セラミックスの粉を対象物に高速で吹き付けて成膜する手法だ。セラミックスの粒子が高速で叩きつけられると固化する「常温衝撃固化現象」を用いたこの手法は、実は産総研の研究者の思わぬ発見から生まれた。「溶射プロセスの実験中、熱が加わっていないはずの場所でもセラミックスが固まっているのを発見し、そこから着想を得てプロセスの確立に至ったと聞いています」と当時を知る担当者。研究者の鋭い着眼点が、新技術へとつながったのだ。密度が高く硬い膜を作れるAD法は、半導体やエレクトロニクス産業を皮切りに活用が進んでいるという。

そしてもうひとつが、土屋氏らが開発した光MOD法である。これはセラミックスを溶かした溶液を塗布した後、「光」を用いてバインダーや分散剤を飛ばすというものだ。紫外線を多く含むエキシマレーザーを照射することで、溶媒や添加物が脱離しセラミックスだけの膜が残る。塗布と光照射の2工程のみで成膜できるため、PETフィルムのような薄い素材にも対応できるのが特長だ。加えて、光MOD法では光の当て方によって表面の結晶成長を制御できる。このため、後加工による微細形状付与を行わなくても表面に微細構造を作り出すことができ、はっ水などの機能性表面を簡単に実現できる点も大きな強みだ。

自然光の紫外線でも固まるセラミックスコーティング材 —インフラでの活用を目指した工夫とは?
土屋氏や野本氏は、これらの常温常圧成膜手法をインフラ保守の現場で活用するための研究を進めている。「屋外での施工を見据えて、自然光に含まれる紫外線のみで硬化するセラミックコーティングも開発しております」と土屋氏。同氏らが開発したコーティング材はペンキのようにハケで塗布することができ、木や樹脂のような熱に弱い構造物にも成膜できるという。
常に振動に晒される橋や道路に用いるため、セラミックス最大の弱点である割れやすさも克服した。「有機物をあえて少し残すようにすることで、固まった後も材質にわずかな粘りが出て割れにくくなります」。ほかにも、粒子を球状ではなく少し扁平にするなどの工夫を重ねているという。
単なる保護膜にとどまらない、セラミックスコートのさらなる機能と社会実装の形
蛍光体を含ませて「光る」コーティングへ —車のライトでも光る蓄光性能を実現したポイントとは?
だが、驚くべきは、このコーティングが単なる劣化防止の保護膜では終わらない点だ。セラミックスは微量の金属(賦活材料※①)を添加(ドープ)すると蛍光・蓄光機能を持つ性質がある。この点に着目し、蛍光機能を備えたコーティングを生み出したのだ。
「たとえばガードレールなどに蛍光セラミックスコーティングを施工すれば、構造物の劣化を防ぎつつ、停電時や災害時の避難誘導にも役立てられます」と野本氏。内閣府が事前防災に力を入れるなか、大学や企業の研究者、自治体とも連携して活用法を探っているという。
性能も抜群だ。「似た製品で実証実験が進んでいるものもあるようですが、我々はその約1/10の厚みで約2.5倍の輝度を実現しました」と土屋氏。常温でも純度ほぼ100%のセラミック膜を作れるため、混ぜ物がない分だけ単位体積あたりの輝度が上がるのだ。
道路での使用を見据え、車のLEDライトでも蓄光できるよう改良も加えた。「賦活材料などの量を緻密に制御することで、紫外光を含まないLEDライトでも従来の約3倍の明るさで発光するセラミックス蛍光体を開発しました」と土屋氏は説明する。バンドギャップ(※②)を精密に制御することで、LEDの弱い光も効率よく吸収し、長時間にわたって発光を持続させることに成功した。実環境を模擬した実験では、自動車が通過した後も蓄光によりしばらく光り続けたという。
※①:元となる材料に添加することで蛍光機能を持たせるための材料。主に希土類元素が用いられており、これを母材料に微量加えることで外部光で電子励起が起こり、元のエネルギーに戻ろうとする過程で光を放つという原理。
※②:材料の中において、電子の移動を妨げるエネルギーの差のこと。この差を制御することで、吸収できる光の波長や、光を吸収したあとに放出する時間を変えることができる。



ロボット活用メンテナンスとのシナジーも期待 —蛍光特性を活かしたさらなる機能とは?
蛍光機能には、さらなるメリットもある。メンテナンスの省力化だ。「このコーティングは、劣化してくると光り方が変わってきます。ライトとカメラを搭載したロボットなどで蛍光特性の変化を読み取れば、保守のスマート化にも寄与します」と野本氏。目視でサビや塗膜の浮きを確認する従来型メンテナンスに代わる手段にもなるため、同センターが取り組むスマート保守技術とのシナジーがここに生まれるのだ。
こうして生まれるのが、(1)劣化防止、(2)災害時の避難誘導、(3)劣化診断という三役をこなす「3度美味しい」コーティングだ。「インフラ構造物では、塗膜を剥がすときにレーザーケレンという光を用いた手法を使います。塗るときも剥がすときも『光』を用いることで、光を使った循環型ものづくりに寄与できると考えています」と土屋氏。この膜はほぼ100%セラミックスで構成されるため、レーザーで剥がした後はそのままリサイクルできる。加えて、樹脂塗料やフッ素樹脂コートの上からでも施工できるため、既存のアイテムを脅かさない。既存産業にも地球環境にも優しいコーティング材、という点が大きなポイントなのだ。
日本のインフラ保守技術としての輸出を目指して —社会実装を加速させる産総研の実装研究拠点とは?
今後について土屋氏はこう語る。「塗工装置や周辺機器、コーティング受託業者など幅広い民間事業者と連携し、品質を安定化させるための改良を進めています。海外輸出も見据え、開発段階の今のうちから海外のニーズを汲み取ることも重要だと考えています」。海外ではインフラ構造物の仕様も日本とは異なるため、現地に適合できるよう実証を重ねることも今後の課題だという。
産総研では、つくば以外に酷寒地や塩害環境を模擬した北海道から、台風や紫外線の影響を強く受ける九州など、複数の実証拠点を保有している。これらの拠点も活用しながら、蛍光セラミックスコーティング材は社会実装に向けて今後も歩みを進めていく。最終的には、ロボットやドローンによるスマート点検技術との組み合わせで、日本発の画期的なインフラ保守技術として世界に売り出していくのが大きな目標だ。
「材料を作る人、現場で使う人、リサイクルする人、そして既存のアイテムの市場——誰かだけが儲かるのではなく、みんなで儲かる仕組みを実現するために、これからも研究を進めていきます」と土屋氏と野本氏。レジリエントなインフラで、より良い国土を目指して。産総研・レジリエントインフラ実装研究センターは、今後もスマート点検技術とコーティング技術で日本のインフラ老朽化に立ち向かう。
