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人を育て、仕組みで回す。日新電機ベトナムが歩む現地化への道
日新電機ベトナム有限会社
掲載企業日新電機ベトナム有限会社
金属部品加工から製品組立まで、多品種中少量の受託生産を、大規模な一貫体制で回す。日新電機ベトナムでは日々3,000〜5,000枚の図面が流れ、その7割は新規である。材料、工程、数量、出荷形態が入れ替わり、短納期の案件も飛び込む。見積・調達・生産計画を調整しながら納期と品質を守るには、運営と人材育成をどう設計するかが鍵になる。こうした現場の取り組みについて、社長の寺尾薫氏に話を聞いた。

顧客の発注を支える「大規模一貫体制」
日新電機ベトナムは2005年に設立された。親会社の日新電機は、遮断器、コンデンサー等の受変電設備や、水処理プラントなどを手がける重電メーカーで、早くから海外展開を進めてきた。その起点となったのが、1987年に立ち上げたタイ拠点である。
タイ拠点は当初、電力設備向けの小型コンデンサーや遮断器を製造する工場として稼働していた。しかし、バブル崩壊後は本社からの受注が次第に減少し、従来の事業構造のままでは工場の存続が難しくなった。そこで、工場内に備わっていた金属加工設備を活用し、外部向けの受託加工へと舵を切る。タイに進出していた日系企業を中心に、板金部品の加工を手探りで始めた。鉄板の曲げや穴あけ、塗装といった基礎的な工程が、その第一歩となった。
1999年に始まったこの受託加工の取り組みは、やがて板金・切削といった金属部品単品の受託加工だけでなく、お客様の製品組立、完成までを担う装置部品ソリューション事業へと発展し、現在では同事業がタイ拠点の売上のおよそ7割を占めている。
その実績を踏まえ、新たな生産拠点として立ち上げられたのがベトナム工場だ。設立当初はタイの分工場的な役割を担っていたが、2016年の第二工場立ち上げに合わせて日新電機本社が資本を入れ、現在は直接子会社として運営されている。
日新電機ベトナムの中核を成すのも、この装置部品ソリューション事業である。板金、切削、組み立てといった工程を社内に集約し、材料切断から最終組み立てまでを一貫して担う体制を築いてきた。一般には、これらの工程を複数の中小企業が分担し、メーカー側が工程ごとに発注先を分けるケースが多い。これに対し、同社は400〜500人規模の人員を抱え、工程全体を一社で引き受けられる点に強みがある。調達や工程管理に伴う実務負担を抑えやすいことも、評価につながっている。
加えて、大規模な生産体制を背景に、一般的な中小加工企業では対応が難しいボリューム案件にも対応可能だ。一社完結による利便性と、量産への対応力。この二つが、発注側にとっての大きなメリットとなっている。

多品種中少量を成立させる「管理」の力
寺尾氏がこの事業の要として挙げるのが、管理の精度である。30〜40人規模の加工業であれば、現場を見渡しながら経験と調整で吸収できる余地があり、負荷が一時的に高まっても力技で乗り切れる場面は少なくない。
一方、日新電機ベトナムの規模になると事情は大きく異なる。工場では毎日3,000〜5,000枚の図面が流れ、その約7割が前回とは異なる製品だ。図面ごとに材料が変わり、加工工程や生産数量、出荷形態まで条件が毎回入れ替わる。
この環境では、現場作業だけで完結しない。見積を担うエンジニア、材料を手配する調達部門、生産計画を組む部門が、常に連動して動く必要がある。とりわけ板金・切削の受託生産は納期が短い。日本向け案件では全体で約3カ月が一般的だが、材料調達や輸送期間を差し引くと、製造に充てられる時間は1カ月半ほどに限られる。
「電話で『今日作れないか』と問い合わせが入ることもありますし、受注後に前倒しや数量変更の相談を受けることも珍しくありません」
こうした要請を受け止めながら、すべての案件で納期を守るには、生産計画を日々組み替え続ける運用が欠かせない。従来型の管理水準のままでは、生産が滞り、納期遅延や品質トラブルを招きやすくなる。
「人と設備をそろえただけでは、このビジネスは回りません。会社全体の運営レベルを引き上げてこそ、成り立ちます」
寺尾氏は2020年の社長就任以降、全社的な仕組みの整備と社員教育に注力してきた。コロナ禍で売上が落ち込む局面もあったが、その間にも業務の流れを見直し、生産性の底上げを進めてきた。
立ち上げ期の混乱と、会社づくりの原点
寺尾氏が初めてベトナムに関わったのは、2007年3月である。当時は本社の研究開発部門に所属し、自ら手がけたニッチ製品の量産化を進めていた。市場規模が限られていたことから、当初から「設備投資を抑え、人手を中心に立ち上げる」という方針が示されていた。生産拠点として中国も検討されたが、製品化のタイミングとベトナム工場の立ち上げ時期が重なり、最終的にベトナムで進める判断が下された。現地対応を任されたのが寺尾氏だった。
「今の装置部品事業とはまったく関係のない仕事で、10人ほどのワーカーと一緒にラインを立ち上げました。年の半分ほどはこちらに来て、行き来を繰り返しながら、約4年間、技術指導をしていました」
当時の現場について、寺尾氏はこう振り返る。
「最初に来たときは、正直、大変なところに来たなと思いました。ただ、社員と話していると、明るくて前向きで、勢いがある。日本の高度成長期も、こんな雰囲気だったのかもしれないと感じました」
当時のベトナム工場は、タイの子会社として立ち上がった経緯があり、日本側に明確な母体事業部が存在していなかった。日本国内の事業部が主導して人員を派遣し、体制を整える一般的な海外移管とは異なり、タイ駐在の日本人やタイ人スタッフが短期間関与する形での運営が続いていた。
こうした状況の中、2011年に寺尾氏は正式にベトナムへ赴任する。工場自体は稼働していたが、現場を統括する日本人駐在員はおらず、組織としての基盤は脆弱だった。
赴任直後、その歪みはすぐに表面化した。
「来て1週間でストライキが起きました。話を聞くと、ワーカーが不当な扱いを受けていたことが原因でした。まずは、ワーカーもスタッフも関係なく、頑張った人をきちんと評価する会社にすると伝えました」
当時はベトナム国内でストライキが相次いでいた時期でもあり、外部環境の影響も重なって混乱は拡大した。そこで一定の整理期間を設け、体制を立て直すことが避けられなくなる。赴任後の最初の3カ月間は、生産を優先する余地もなく、「会社とはどういう場所か」という基本的な考え方を共有するところからの再出発となった。
その後、新規顧客の開拓が進み、扱う製品や案件の幅が広がるにつれて、売上は徐々に伸びていく。それと同時に、現場任せでは立ち行かない局面も増え、組織全体を支える仕組みの必要性が浮き彫りになっていった。
「このビジネスは、管理の水準を引き上げなければ成り立たない」。そうした問題意識から、同社は工程や品質にとどまらず、人材育成や組織運営を含めた仕組みづくりに取り組むようになる。
その過程で避けて通れなかったのが、ベトナム人材の特性をどう理解し、どう活かしていくかというテーマだった。
人材育成は、前提理解から始まる
寺尾氏はベトナム人について、「元気があり、前向きで、今の日本人が忘れてしまったものを多く持っている」と語る。ASEANの中でも注目度が高く、多くの国や企業が進出先としてベトナムに目を向ける背景には、こうした国民性への評価もある。勤勉で真面目、手先も器用で識字率も高い。製造業の現場で強みとなる素地を備えている点は、寺尾氏自身、現場で実感してきた。
実際、生産ラインで決められた作業を繰り返す工程では、その力が存分に発揮される。手順を正確に守り、安定した品質を維持し続ける。
一方で、同社の事業のように「考えながら仕事を進める」ことが前提となる業務では、別の課題が見えてきた。背景にあるのは、教育のあり方だ。ベトナムでは、教師の話や黒板に書かれた内容を正確に覚える教育が、大学卒業まで一貫して行われてきた。その過程で、「なぜそうなるのか」「次にどう判断するか」といった思考のプロセスを言葉にする訓練を十分に受けないまま社会に出るケースも少なくない。
定型的な生産現場では高いパフォーマンスを発揮する一方、不具合発生時の原因分析や、新しい取り組みを考える局面では、対応が難しくなることがある。問題を分解する、原因を掘り下げる、他工程へ展開するといった思考が、うまく機能しない場面が生じる。寺尾氏は、これを個々の能力の問題とは捉えていない。これまで求められてきた教育の方向性の違いが、仕事の進め方として表れていると見ている。
同社のビジネスは、同一製品を量産し続けるモデルではない。顧客ごとに仕様が異なり、その都度、考え、判断し、次につなげていくことが求められる。だからこそ寺尾氏は、特定の教育手法や短期的な研修に頼るのではなく、考えた過程を言葉にし、互いに伝え合うことを人材育成の軸に据えてきた。
OJTの現場でも、ミーティングや連絡会でも、起きた出来事に対して「このとき、どう考えるべきだったか」「なぜそう判断したのか」を一つひとつ言葉にして伝える。即効性のある方法はない。相手の理解度に合わせながら、地道に、何度も繰り返し向き合う。
同社が時間をかけて取り組んできた人材育成は、単なるスキル教育ではない。事業の特性と人材の前提を正しく捉えたうえで、力をどう引き出すかを問い続けてきた取り組みそのものである。

「人を大切にしているかどうか」
離職率を下げるために、どのような工夫を重ねてきたのか。そう尋ねると、寺尾氏は次のように語る。
「当社の場合、社員を育てなければ仕事が成り立ちません。単純作業の繰り返しで成立する事業ではない以上、育てた社員が辞めてしまうことは会社にとって大きなダメージになります。だからこそ、制度ありきではなく、社員に寄り添うことを前提にした取り組みを続けてきました。その一つが、人事部門による定期的な現場訪問です。人事担当者が週2回、工場やオフィスを回り、社員と直接話をしています。この活動は人事マネージャーの発案で始まり、すでに6年以上続いています」
開始当初は、声をかけてもなかなか話してくれなかった社員も多かった。しかし今では、人事担当者の姿を見ると自ら寄ってきて、仕事のことに限らず、日常の悩みや会社への要望を話すようになったという。個別の不満を拾い上げるというより、「いま何を感じているのか」が自然に共有される状態が、時間をかけて定着してきた。
集まった情報は人事部門で整理され、内容に応じて対応先が振り分けられる。経営判断が必要な案件は社長へ上げ、現地で完結できるものはベトナム人スタッフや労組が対応する。社員の声が、滞ることなく必要な場所へ届く仕組みが根付いている。
日々の対話を重ねる中で、給与制度や福利厚生も随時見直してきた。年2回実施している労使懇談会でも、大きな対立が生じることはなく、運営面の改善提案や前向きな意見が中心となっている。
もう一つ、寺尾氏が重視してきたのが、経営情報の共有だ。同社では損益状況を社員に開示し、損益管理そのものも現地幹部に委ねる体制へと移行してきた。かつては社長が一手に担っていた損益管理も、現在ではベトナム人幹部4人が理解し、自ら数字を組み立てる段階にある。
以前は、「残業を減らしなさい」「この経費が多い」といった指示を社長が直接出していた。しかし今では、経費や稼働の判断までを現地側で完結できるようになり、生産管理を含む日々の運営は現地スタッフが主体となって回っている。
利益が出れば賞与に反映される。その関係が共有されることで、現場にも「どうすれば利益を生み出せるのか」を考える視点が生まれた。単なる作業効率の改善にとどまらず、会社全体の結果を意識した行動へと、少しずつ変化が表れている。
一連の取り組みを通じて寺尾氏が実感しているのは、「人を大切にしているかどうか」が企業の持続性を左右するという点である。
「社員が『この会社に入ってよかった』『ここで働き続けたい』と思えるかどうか。それがなければ、利益も生まれにくい」
人を軸に据えた経営姿勢が日々の業務に根付き、人材の定着と安定した事業運営を支えている。
進出前には見えないコストと実務負担
ベトナムでは、進出後に初めて見えてくるコストや実務上の負担がある。寺尾氏がまず挙げるのが、行政手続きの分かりにくさだ。
ベトナムでは、法制度の枠組み自体は整備されている。一方で、運用段階では解釈に幅が生じやすい。法律や通達が出された後も、補足や修正にあたる文書が相次いで発行され、その都度、現場では対応内容を確認し直す必要が生じる。
日常的な行政手続きとは別に、国レベルの施策が企業活動に影響を及ぼすこともある。寺尾氏が直近の例として挙げるのが、2025年に実施された大規模な地方行政区画の再編だ。
この再編により人員配置が広範囲で見直され、各地の行政窓口では引き継ぎ対応が続いた。それまで比較的円滑に進んでいた通関や許認可が一時的に滞り、現場では工程や日程の組み直しを迫られる場面もあったという。
「日本では考えられない規模やスピードで国の施策が動くことがあります」
こうした特性がある以上、事業計画にはあらかじめ調整余地を織り込んでおく必要がある。
寺尾氏は、進出前に現地企業を訪ね、実務でどのような点に注意しているのかを直接聞いておくことが有効だと話す。現地との接点づくりでは、JETROなど公的機関の情報も参考になる。そのうえで、当局対応の経験を持つベトナム人コンサルタントや、信頼できる紹介先の存在が、判断を支える要素になるという。
建設や設備投資の段階では、行政対応の負担はさらに大きくなる。近年、影響が目立つのが消防関連の規制だ。建物の新設や改修に際し、基準への適合を求められ、追加の設備投資が必要になるケースもある。消防設備は調達条件が指定される場合もあり、初期段階でのコスト見積もりが重要になる。
一方、人件費を巡る環境も変化してきた。10年前と比べ、給与水準はおおむね倍程度に上昇し、最低賃金も段階的に引き上げられている。日系企業はもともと最低賃金を上回る水準での運用が多いが、賃金相場の上昇により、人材確保に向けた見直しが欠かせなくなっている。
こうした状況を踏まえると、「低コスト」だけを前提にした進出モデルは、現在の環境には当てはまりにくい。
加えて、裾野産業の構成にも注意が必要だ。材料や部品を国内で調達できる範囲は限られており、多くの企業が輸入を組み合わせた調達を行っている。日新電機ベトナムでも、板金や切削に用いる鉄板等の材料の多くを中国や韓国から調達している。国内での材料生産は一部で進みつつあるものの、調達全体を支えるまでには至っていない。
ベトナム進出は、こうした前提を見据え、事業をどう組み立てるかが問われる局面にある。
溶接の技術向上とめっき内製化
日新電機ベトナムの技術力を語るうえで欠かせないのが、溶接をはじめとする加工技術の強化と、その内製化への取り組みだ。受託生産を主とする同社では、顧客ごとに品質に対する考え方が異なる。ある顧客では許容される仕上がりでも、別の顧客では認められない。そうしたケースは決して珍しくない。
一定の物量を伴う案件では、顧客側の技術担当者が現場に入り、直接指導を行うこともある。社員はそうしたやり取りを通じて、多様な基準に触れ、技術を吸収してきた。寺尾氏は、複数の顧客から異なる要求を受ける環境そのものが、結果として技術水準の底上げにつながってきたと捉えている。
溶接分野では、4〜5年前に体制面での変化があった。日本で溶接を学び、ベトナム語も話せる日本人を現地で採用したのである。現場経験と理論の双方を備えたこの技術者が、溶接指導を継続的に担ってきた。
それまで現場では、電流値の設定や溶接棒の選定といった条件を、経験や感覚に委ねる場面も少なくなかった。この技術者が加わったことで、「この条件なら、こうする」という判断基準が言語化され、座学も交えながら現場へ浸透していった。こうした指導を続けた結果、溶接の品質は着実に向上してきたという。

工程を自前で担うという点で、もう一つ象徴的なのが電気亜鉛めっきの導入だ。2024年に稼働したこのめっきラインは、寺尾氏にとって長年の懸案だった。外注していためっき費用は年間で相応の規模に達していたが、専門知識を持つ人材の不在や設置スペースの制約から、構想は長く実現に至らなかった。
転機となったのが第三工場の取得である。設備を設置できる環境が整い、本社との協議を重ねたうえで導入を決断した。
「正直、これから大きく売上が伸びる分野ではありません。ただ、決してめっきの需要は無くなるものではなく、外注していた工程を自分たちでコントロールできる意味は大きい」
導入後、外注コストは削減され、めっき単体での受注も新たに生まれている。数量は限定的だが、損益面ではプラスに転じた。自社で完結できる工程の幅は、着実に広がっている。
溶接、板金、切削、塗装、そしてめっき。主要工程を自ら担える体制が整ったことで、品質管理や納期対応の自由度は高まった。外部に委ねるのではなく、技術を組織の中に残し、人を育てながら維持していくことが重要だと、寺尾氏は考えている。
半導体分野で高まる引き合い
板金・切削加工は幅広い分野で使われているが、足元で存在感を増しているのが半導体関連の案件だ。
「我々が受注しているのは、半導体関連分野の製品を取り扱う企業からの案件です。アメリカと日本の装置メーカーが中心になります」
半導体分野は裾野が非常に広い。二次請け、三次請けまで含めると関係する部品は多く、同社にも複数のルートから問い合わせが寄せられている。
「例えば、半導体製造装置の中に使われるチラー(冷却装置)向けの部品など、周辺装置の分野からも相談があります」
半導体製造装置向け部品の特徴は、部品点数の多さと管理の難しさにある。個々の部品は一見似通っていても、寸法や穴位置はわずかに異なる。それらを正確に作り分けながら、数量・品質・納期をそろえて供給し続けなければならない。加工技術そのもの以上に、生産を安定して回す力が問われる領域だ。
「半導体製造装置に関わる部品は品質要求が非常に厳しく、まずサプライヤー認定を取得できるかどうかが最初の関門になります」
同社では現在、米国の大手半導体製造装置メーカーとの取引が始まっている。最初に声がかかったのは2022年末で、そこからサプライヤー認定を取得するまでに約1年半を要した。
「その間、膨大な書類対応や工場監査がありました。現在は量産が立ち上がった段階です。こうしたプロセスを一つひとつクリアしていくには、一定の体制や準備が欠かせません」
半導体市場は、AI関連需要を追い風に今後も拡大が見込まれている。
「業界全体が動き出せば、仕事量は自然と増えていく。その中で、品質や運営体制への要求に応えられる企業に、引き合いが集まっていくと見ています」
加工技術に加え、複雑な生産を安定して回す力。その両輪が、半導体製造装置分野における同社の競争力を支えている。
自走する組織を目指して
今後の展望を尋ねると、寺尾氏は、現在とくに力を入れている取り組みとして「社員の教育システムづくり」を挙げた。
装置部品事業では、一定水準まで育った人材がそろわなければ、事業を安定して維持することは難しい。一方で、ベトナムでは人材の流動性が高く、現場ごとの努力だけで育成を完結させるには限界がある。そこで同社は、入社半年、1年、2年といった節目に応じて、教育が自然に回る流れを組み込もうとしている。現場作業に限らず、各職場で専門性を高めていくカリキュラムを整え、全社として底上げを図る考えだ。寺尾氏は「ここ3~4年をかけて形にしたい」と語る。
その延長線上に見据えるのが「ベトナム人だけで会社を回せる状態」の実現である。技能や現場力の強化だけでなく、会社全体を統括する人材の育成も欠かせない。
装置部品事業の経営は変化が激しく、難易度も高い。外部から経営者が赴任し、短期間で全体を把握できるような性質のビジネスではない。寺尾氏自身、体制がほとんど整っていなかった段階から、人事、経理、工場運営に至るまで、必要な仕組みを一つずつ築いてきた。ただ、その過程で蓄積された知見は、異国の現場で試行錯誤を重ねてきた経験と不可分であり、後から同じ形で引き継ぐことは容易ではない。
そのため、同社は経営を担う人材を社内で育てる取り組みにも踏み込んでいる。寺尾氏は世代交代を念頭に置き、昨年1年をかけて自らテキストを作成し、社長として求められる判断の軸や考え方を整理した。現在は、その内容を基に後任の準備を進めている段階にある。
最終的に目指すのは、ベトナム人の幹部社員を中心に、日本人社長が不在でも事業が滞りなく回り、安定的に利益を生み出せる体制である。教育を個人任せにせず、仕組みとして根付かせることで、人と組織が自律的に機能する。その積み重ねが、日新電機ベトナムの将来を支える基盤になっていく。

