成長企業の経営戦略

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月曜日に出社するのがワクワクする会社に

月曜日に出社するのがワクワクする会社に

株式会社浅野
代表取締役社長 淺野 圭祐 氏

掲載企業株式会社浅野

主要3品目
  • 試作板金部品

  • 樹脂射出成形金型

  • 複合材成形

従業員数

250人

隆盛。しかし……

 群馬県伊勢崎市の敷地面積1万坪に建つ広大な工場の奥には、自動車ボディ骨格部品用金型が設置された2000tプレス機が鎮座していた。静岡工場、京都工場と合わせた従業員数は250人。株式会社浅野を牽引する若き代表取締役社長・浅野圭祐氏の口から出たのは、実に意外な言葉だった。

「ここ4年、うちの業績は低迷しています」

 同社は1945年に浅野氏の曽祖父・円蔵氏が創業。祖父・英雄氏、父・誠氏が継承する中で事業を拡大し、新車種開発の試作支援を行う。

 小物の深絞り成形と溶接技術を原点に、バイクの重要保安部品製作と共に成長。熱歪の精度管理をコア技術とし、ハンドワーク技能を持った熟練工が早期段階からロボットシステムを用いることで、量産工程を視野に入れた安定品質・高効率な溶接を提案できることが強みだ。現在は、30t~2,000tサイズの単品から自動車板金ボディ一台組立まで(BIW)、年間1万種類以上の試作部品を製作している。

浅野家の長男

 高校生の浅野氏は、自分で自分の能力や価値を信じることができないでいた。自分のことをもっと知りたい! それが心理学を学ぶきっかけだった。しかし当時の日本には、理想とする心理学を学べる大学がなかった。心理学の教育現場としては、アメリカが先進的であることを知った浅野氏は留学を決心し、かの地に渡る。とはいえ、語学力は受験英語程度である。「それでも、自分の殻を破ってみたいという思いだけで」州立テキサス大学アーリントン校心理学専攻で学んだ。同校を選んだのは日本人留学生が少なかったからだ。群れたくないという意識があった。

浅野氏が目指していた臨床心理士の資格習得には、大学院に進む必要があった。しかし大学卒業時には、働きたいという思いが抑えがたく湧き上がっていた。そこで、帰国して就職活動をした。大手も回ったが、なんとなくピンと来ない。結局、就職先に選んだのは、ベンチャーの求人広告会社だった。経営者の熱い理念に惹かれたのだ。入社後の仕事は、飛び込み営業と電話営業。浅野氏は、ここで営業力を徹底的に鍛えられた。

 2年半が経っていた。結婚もし、もう少し落ち着いて働きたいと考えていた浅野氏は、医療関連メーカーに転職した。仕事の中心は、ドクターへの薬効のプレゼンテーションである。

 6年が経ったある日、実家で祖母から見せられたものがある。1振りの日本刀だった。祖父が日本刀の収集を趣味にしていたことは知っていた。自分の名を刻んだ日本刀がつくられ、それを見せられたのも最初ではない。しかし、初めて知ったことがある。英雄氏は、浅野家の長男にのみ刀をつくっていたのだ。すべての孫に向けて刀がつくられていたと認識していた浅野氏は衝撃を受ける。そして、浅野家の長男である宿命を感じた。すぐに、父と話がしたかった。後継はどう思っているかを父に尋ねると、「おまえは候補のひとりではある」と応えた。浅野氏は、家業に入社する決心をした。

 後日分かったのだが、誠氏の計画では、浅野氏は後継者としてすでに入社しているはずだった。それも、何年も前に。しかし、これまで口に出すことはなかった。いや、今から思えばこんなことがあった。「私の当時の職場は転勤続きだったんですが、その転勤先に父はちょくちょく顔を出していたんです。就職後、大学院で学び直して臨床心理士になろうとしたこともあったのですが、父は“浅野の長男じゃないか”なんて言って渋っていたんです」。

自社の臨床心理士に

 33歳で浅野に入社。京都工場に配属された。担当は新規開拓営業である。

 2年後の19年、本社に移動。しかし、漂っているムードは、京都工場とはまったく違っていた。試作レス化により、低迷期に入ったのである。

 樹脂事業を扱う京都工場は、浅野の中ではいわばベンチャー。しかも1社頼みだった取引先に逃げられ、必死に営業活動をしていた。ところが本社は、既存取引先に頼るだけだった。その流れで、業績は低迷、朝礼では、社長の訓示の際も全員が下を向いている。工場は整理整頓がされていない。管理職は、まるで当事者意識がないままに醒めた物言いをする。ムダな会議も多かった。新規開拓営業といえば、DMを年2回送るだけ。そうした沈滞した空気を象徴するように、業績はずるずると下降していた。かつて県の優良企業として表彰された浅野が、である。

 浅野氏は、自社の臨床心理士になる決意をする。低迷している自社を診断すると、卓越した技術力はあっても、売るのが下手である。人間力の点では、お客さまに対して素直で紳士的ではあるが、主体性がない。組織力については、やると決めたら結束力はあるが、時間がかかる。これらを踏まえ、まず幹部から教育と共に改革を行った。

 従来通り正しい知識を一方的に与えるだけではなく、チームビルディングを活用し理解を“体感”させることを大切にした。

 体感を通じ自分自身の課題(指示待ち、他責思考や目的意識の欠如)に気づかせ、それをアウトプットと共に自分の行動を今後どう変えるかを宣言をさせる。正しく受け取ったメンバーには承認と応援。ズレているメンバーには一対一で対話し修正に導いた。特に組織に強い影響を与える管理職者・年長者には厳しく教育を行った。気になる発言や行動があった時には即対話の場を設け、傾聴し指導をした。変わっていくメンバー、或いは去る選択をする社員もいた。取締役も2人辞めた。1人は、浅野氏が生まれる前から会社にいた人だ。

 さらに、すべての社員と1対1の面談をした。泣き出す者もいた。ありたい理想の自分像と現実のGAPからくる悔し涙だ。浅野氏も時に涙を流しながら彼らの語ることを聴き、共に解決策を決めて新たな挑戦を後押しした。そして思った。もともと個々の技術力はある社員たちである。彼らが力を出し切れば、そしてその力を結束すれば再び上に向かえると。

 20~23年は低迷が続いた。24年4月、浅野氏は4代目社長に就任。4年間の新規営業活動も実を結びそして5月、1ヵ月で約2億円の営業利益を出した。これまでにない数字である。「最高記録でした」。浅野氏は確信に満ちた静かな声音でそう語った。彼にとって、それは驚くような結果ではなかったのだ。

「11歳と2歳の娘がいます。2人が入りたいと思える会社にしたいですね。そのためには、全社員が月曜日に行くのがワクワクする会社にしなければ」。

 今回の取材のためにクルーが社に入ると、活気に満ちた社員の皆さんが迎えてくれた。まさに月曜の朝に。

経営者の素顔

 趣味はランニングです。今は週末に10キロほど走ってます。フルマラソンや100キロマラソンの大会にも出場します。

 これまで2回、社員とその家族で42.195キロを駅伝で走るイベントも開催しました。

 取材・文=上野歩

※写真は量産市販車を使用

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